地域教会への決意をしよう

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日曜礼拝
信仰生活

多くのクリスチャンにとって、新年は良い目標への決心を実行に移す新たな機会となります。1年で聖書を通読するにしても、聖書箇所を暗記するにしても、祈りに時間を割くにしても、1月はしばしば新たなエネルギーと決意をもたらします。大多数にとってそれはまた、過去の失敗を思い起こさせるものでもあります。

おそらく私たちは、このような善良で敬虔な決心に、間違った方法で向き合ってきたのかもしれません。もし私たちが、もっと一貫して聖書を読み、もっと定期的に祈るという決意を守りながら、キリストにある兄弟姉妹を同じようにするよう勧められたらどうでしょう?おそらく、私たちの決意の多くに欠けているのは、地域教会かもしれません。

例えば、地域教会にもっと有意義に専念し、関わることを最初に決意したら、聖書を読み、祈るという私たちの決意がどのように変わるかを一緒に考えてみましょう。

どこでも神を聞けるようにする

神のみことばに耳を傾けるとき、地域教会の生活に専念することは、最高の反響室に入るようなものです。

[おそらく、私たちの決意の多くに欠けているのは、地域教会かもしれません。]

教会の集いと、そこで神が与えてくださった人間関係に専念することで、聖書が生活のほとんどの部分に響き渡っていくことに気づきます。もちろん、私たちは毎日、聖書の中で個人的な時間を過ごすように努めなければなりません。しかし、私たちの生活を地域の教会に組み込むことで、聖書を読むことを毎朝の個人的な出来事だけではなく、一週間を通してさまざまな形で行われるものにします。

地域教会では、神のみことばは教会の教えから、教会員の人間関係にまで響き渡ります(第二テモテ4:2、コロサイ3:16)。あなた自身の人生において、これがどのようになり得るかを考えてみてください。もしかしたら、すでに毎朝聖書を読んでいるかもしれません。日曜学校や礼拝に出席するだけで、毎週楽しめる聖書の量が倍増するかもしれません。また、毎週集まって日曜の説教について話し合う教会のファミリーグループや聖書研究会に参加するかもしれません。こうして、みことばを開く機会がさらに増えます。

さらに加えて、神の民、つまり神のみことばに召し集められた人々は、普段の会話の中で絶えずみことばを互いに言い返していることに気がつくでしょう:「私は怒りに悩んでいましたが、最近、ヤコブのこの聖句を読んで、感銘を受けました。」「神がどのように備えてくださるかわからないが、エペソのこの約束を信頼します。」「マタイによる福音書のこの命令を黙想することによって、私を親として神は成長させてくださいました。」

良い意味で、地域教会は聖書の反響室のような役割を果たします。自分の人生を教会に織り込めば織り込むほどに、みことばが人間関係を通してあなたの心と人生の隅々にまで響き渡ることに気づくでしょう。

祈りの動力の燃料

同様に、新年はしばしば祈りに対する新たな決意をもたらします。昨年よりも、神様と深く交わりたいと思います。しかし、私たちの祈りの訓練は、聖書を読むことと同じように、月日が進むにつれて減っていくことが多いです。

繰り返しになりますが、祈りの習慣を維持する一つの方法は、地域教会に専念することです。地域教会は、祈りに献身し、祈りによって特徴づけられる人々です(使徒2:42、4:23-31、6:1-6、8:14-15、12:1-5、13:1-3、20:36)。祈りのために教会に集うとき、私たちは祈り方を学ぶだけでなく、祈りの優先順位と私たちの人生における神の栄光の中心性を思い起こします。

例えば、私の教会では祈りのために毎週集まりますが、自分の祈りがいかに浅はかで自己中心的なものになってしまっているかを毎週思い知らされます。牧師は信徒に毎週、みことばの定期的な説教のために、救われていない近隣の人々がキリストを知るようになるために、私たちの教会が多様性における一致の忠実なあかしとなるために、そして私たちの信徒が忠実に互いを思いやるために祈るよう求めています。

それ以外にも、教会員たちは伝道的な会話のために、また病気で苦しんでいる人たちのために祈りを求め、また神の誠実さを讃える理由を分かち合っています。これらのリクエストを聞くと、私は浅はかな祈りのわだかまりから解き放たれ、イエスが教えられたように、「御国を来ますように」と祈ることを思い出します。このような祈りの集いは、私の個人的な祈りの習慣に影響を与え、再び火を灯してくれます。

[他の人々をあなたの聖書を読むことと祈りを通して、より忠実に歩むように、より完全に神を知るように励ますことを決意してください。]

一人で祈るとき、私たちは「祈り続ける」ことに苦労することもあります。体力を失ったり、あるいは単に祈らなくなってしまうこともあります。しかし、神の民と集まって祈ることは、動いている列車に飛び乗るようなものです。私たちは教会の祈りの勢いに巻き込まれます。あなたの教会で毎週祈祷会が開かれているなら、今年こそ祈りの中で成長する素晴らしい機会がすでに用意されています。その集いを、あなたのカレンダーの中で神聖な動かない予定にすることを検討しましょう(あるいは、あなたの教会で祈祷会を始めましょう!)。

もしあなたが祈ることに悩んでいるなら、毎年もっと頑張ることを決意するだけでなく、教会と腕を組むことを決意しましょう。動く列車に飛び乗り、他の人々の祈りから個人的な祈りの生活への活力を受け取り、磨かれましょう。

教会への決意をしよう

私たちが教会に入会するのは、単に霊的な活力を保つためではありません。(もちろん、そのような効力はあります。)私たちが教会に入るのは、キリストに従い、キリストの民を愛し、他の人々に仕えるためです。もし決意するなら、単に自分の聖書を読む量や祈る量を増やす方法だけを考えないでください。他の人々をあなたの聖書を読むことと祈りを通して、より忠実に歩むように、より完全に神を知るように励ますことを決意してください。

もちろん、私たちは教会に入会し、神の民と有意義に関わることによってのみ、その決意を果たすことができます。地域教会に加わることによって、互いに愛し合い(ヨハネ13:34-35)、互いに尊敬し合い(ローマ12:10)、互いに仕え合い(ガラテヤ5:13)、互いに忍び合い、互いに赦し合い(コロサイ3:12-13)、互いに励まし合い(第一テサロニケ5:11)という聖書の命令を完全に実践できるようになります。

ヘブル人への手紙の著者は、クリスチャン生活にとって定期的に神の民と集うことがどれほど重要であるかを示しています:

>また愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。(ヘブル10:24-25)

もし私たちが神の民と集まらないのであれば、単に出席を怠っているわけではありません。私たちは、愛と善行へと互いを駆り立てることを怠り、他の人々が信仰を堅持するように励ますことも怠っています。神の民があなたの信仰を強め、あなたが彼らの信仰を励ますことができるように、神の民との交わりの中で神をより知る決意をしてみてください。

神をもっと知り、もっと頻繁に祈り、もっと忠実に神に仕えたいと思うなら、教会に加わり、神の民に専念しましょう。すでに地域教会の教会員でありながら、輪の外に生きてきたのなら、この新年こそが、自分の人生をもっと深く教会の生活に織り込む決意をするときかもしれません。